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区画が語る
まちあるきライター・一柳亮太
 
埋め立てに残る 過去のかたち
 
 これまで鉄道や飛行場の跡など、道路や区画の形をよく見ると地域の昔が分かる、という例を紹介してきました。今回は、那覇市鏡原町の那覇大橋南詰めあたりにある「ガーナー森」とその周囲を見に行きます。
 
 お正月、奥武山にある神社へ初詣に行かれた方もいらっしゃると思います。奥武山の公園内は神社のある木が茂る小高い部分と、運動場などがある平坦な部分に分かれています。この小高い部分は、もともと国場川河口部の漫湖に浮かぶ島々でした。
 島々の中で、海から最も奥に位置するのがガーナー森です。一説よると形が「たんこぶ」(方言でガーナー)のように見えるので、この名が付いたとも言われます。鶴の頭に見えるので「鶴頭山」とも呼ばれました。古い写真を見ると確かに鶴のようです。特に、北西の方角に伸びる砂州が首筋に見えて、いっそうガーナー森を鶴の頭に見せています。
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 今の奥武山公園付近は、このような島々の間を埋め立てて、現在のような地形となりました。ガーナー森も1957(昭和32)年に開始された埋め立てにより、現在残る形となりました。鶴の頭に当たる部分は、今でも鬱蒼(うっそう)と木が生い茂っているので外から見てもすぐに分かります。気になるのは、首筋にあたる砂州の部分です。もともと起伏の無い部分なので、周囲の埋め立てした土地と見分けがつかなくなっているかもしれません。
 付近の地図を見てみると、あることに気づきました。ガーナー森周辺は、概ね四角く区画、造成された住宅地となっています。四角い区画に、斜めに入り込むようにガーナー森が残されていますが、その南側には同じように斜めの細長い区画が存在しているのです。まるで、道路用地として確保されているかのような区画です。
 そこで、さらに空中写真を調べて驚きの声を上げてしまいました。この斜めの区画が、以前ガーナー森にあった砂州の形とほぼ一致しているのです。埋め立てで失われたと思っていた砂州が、土地の区画に残っていたのです。現地へ行き実際の様子を見ると、道路に対して斜めに建つ建物や砂州の形に残る駐車場が存在していました。
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 土地の境界線は、区画整理や農地改良が行われない限り、過去の姿を残します。変化の激しい都会の、さらに埋め立て地であっても、土地の区画に地域の歴史を残しているのです。
 
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壺川より国場川と奥武山公園を望む。緑の木立がある部分が、かつて島であった部分。中央奥、橋の右側にある木立がガーナー森
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奥武山公園には周辺の史跡や埋め立ての経緯を説明した案内板が設置されている。ガーナー森の昔の写真を見ると、確かに小高い森から砂州が伸びている
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上から見たガーナー森とその周辺。手前2階建ての建物と駐車場がかつて砂州であった部分。造成された埋め立て地の四角に区切られた中で、ガーナー森とその周囲が斜め区画のになっているのが分かる
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砂州であった駐車場付近からみたガーナー森。一見すると、砂州と埋め立て地を見分けることはできない
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砂州の一部は現在芝生となっている。向かって右側には石が積み重なっている。埋め立て前の岩の欠片ではないかと調べたが違うようだ
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鬱蒼と木が生い茂るガーナー森。都市の中にある貴重な緑。近くに来て見上げると、思った以上に標高が高い
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傍らにある説明板。ナハキハギ群落の北限として、市指定の名勝・天然記念物であると記されている
 
航空写真で見ると
1977年の写真(右)では、埋め立てから10年以上たっているが、周囲は砂州のまま残っているのが分かる。2010年になると周辺の整備も進み砂州も駐車場となったが、区画はそのまま変わらず残っている(背景地図等データは国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)
 
 
ひとつやなぎ・りょうた  1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。
 
 

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